車両史

戦前

西急の前身である戦前の3社における車両構成は次のとおりである。

新京阪鉄道として最初に導入したP-4,5形、本線淡路~高槻町間開業に際し1927年から1929年にかけて導入したP-6形73両、P-4形の代替新造の200形で構成された。西急発足後は100系として運用されている。

阪神電気鉄道では、増設線開業に際し電動車2001形および制御車2101形を導入、相互直通運転を念頭に置き、両形式とも新京阪P-6形と概ね同一諸元となっている。本形式は、西急発足後は200系として運用されることとなった。

名古屋急行電気鉄道も新京阪鉄道との相互直通運転を前提としており、名急デハ100形200形ともに、新京阪P-6形と概ね同一諸元で製造された。本形式は超特急用として長距離運転に供されることからトイレを設置、高速走行を意識したデザインとして流線形で登場している。本形式は、西急発足後は300系として運用されることとなった。

戦後

終戦を迎え、戦時中よりも悪化していく一方の輸送事情と車両の荒廃のさなか、八日市車庫の検修設備を拡張した八日市工場が1946年4月に操業を開始、車両の修繕が進められていった。1947年3月から1948年3月にかけて、運輸省からモハ63形20両の割当を受け、600系(入線時。1950年に900系に改番)として運用されることとなった。本系列の入線により建築限界および車両限界が拡大されていが、新京阪鉄道の建築限界は国鉄とさほど変わりがなく、懸案だった鉄道施設も小規模の改修で対応可能だった。

八日市工場は、西急と大同製鋼によって1949年10月1日に設立された子会社の大同車輌製造として新たなスタートを切ることとなった。1950年11月に西急発足後初めての純新造車両となる600系(2代)が大同車輌製造で製造され、旅客車両の内製化体制が確立された。本系列は2両固定編成で登場しており、この時期から平坦線区間ではMT同数の経済性を重視した編成が組成されるようになっていた。

特急車については超特急は300系が継続して使用され、1950年10月1日に三宮・梅田・京都・大津に停車する特急(後の区間特急)が朝夕に新設された際は、専用車両として100系の115~117および185~187の6両が2両編成の組成で整備された。

高度経済成長期

1950年代に入り輸送改善へ向けた動きが活発化する中、西急では過大な車体重量および高速走行に起因する軌道破壊が問題となっており、抑制する有効な手段として、構体の軽量化および台車ばね下重量の軽減が求められた。構体重量は600系で幾分軽量化されたものの、更なる改良に向けた研究が継続された。一方、1950年代後半から通勤旅客需要の増加が著しくなったことから、旅客車両の大量増備が必要となっていた。

1954年初頭から、600系(2代)の一部車両を使用して新型駆動装置および台車の長期実用試験が開始、900系902-942の車体新造による更新で軽量構体の長期実用試験が実施されるなど、軽量かつ高性能な車両の模索が進められた。

1955年11月に初のカルダン駆動車となる1000系(初代)先行量産車が登場、構体重量が戦前製車両より約70%軽減された。1956年11月から製造された1000系(初代)2次車では山岳区間での走行にも支障がなく、より経済性を重視した8M1C制御が採用され、付随車を中間に組み込んで輸送力の増強が図られた。

従来車両についても、戦前製車両のMT比是正による車両増備が計画され、1000系(初代)の準張殻構造の構体に戦前製車両の主要機器を流用した車体更新が実施されることとなった。これにより、1958年から1960年にかけて、100系の一部および200系の主要機器を流用した700系が登場している。

1960年時点で、戦前製車両については約80%が車両更新を終えることとなった。ただ、これまでの旅客車両は側扉が片開き扉であることから開閉扉に時間がかかり、特にラッシュ時は乗降による遅延が度々発生していた。そのため、側扉の開口幅を拡大し、開閉扉時間を半分に短縮可能な両開き扉の採用が喫緊となった。このほか、視認性向上・踏切事故からの乗務員保護対策として高運転台構造とするよう、次期普通車の設計に盛り込まれた。

新規設計された準張殻構造の構体は、まず1961年から製造された機器流用車771系で採用され、構体における改善点の洗い出しが実施された。1962年から、1000系(初代)の改良版として、今後の標準車両を指向して登場した2000系(初代)では、771系から改良された新規構体に、1000系(初代)2次車の主要機器を装備している。構体は形鋼およびプレス品の多用など、製造時の経済性を追求した構造となった。

1967年から1969年にかけて、大阪市高速鉄道第6号線との相互直通運転のために、2000系(初代)に乗入対応機器を搭載した改良版の2200系が登場している。

特急車については、1957年から1960年にかけて、300系の後継となる初の特急専用車両500系が登場している。国鉄の「こだま」で使用された国鉄20系(後の151系)と比較しても遜色のない設備となった500系は営業運転に入ると好評をもって迎えられた。また、多客期の増結用および区間特急用として中間増結車も製造されている。

しかし華やかな時代は短く、1964年10月1日の東海道新幹線開通以降、料金・運行本数で劣る名神特急は窮地に陥った。また、湖南および湖東地域の人口増加をはじめとした沿線観光の変化により、短区間利用主体の都市間連絡特急への変革を迫られることとなった。しかし、長距離利用を想定した500系では側扉の幅が狭いため、区間特急に使用されていた500系中間増結車では度々乗降遅延が発生し、列車遅延の原因となっていた。

1963年に京阪の1900系を視察し、2扉かつ普通車と同じ幅の側扉であれば乗降遅延も発生しないだろうとの結論に至り、MT組成比の関係で運用機会が少なくなっていた1000系1次車を2扉化して500系と同等の内装とする格上げ改造工事を1965年8月に施工、旅客サービス改善に向けた検証が行われた。

この改造車は区間特急の営業運転にも投入して市場調査を行い、500系の後継となる新型特急電車の開発・設計が進められた。東海道新幹線開業後、比較的早期に新型車両模索への動きが見られたことから、500系に対し早々に見切りをつけていたことが窺い知れる。

1972年4月1日の商号変更にあわせて新型特急電車5000系が営業運転を開始し、500系は団体専用の1編成を除き廃車となっている。

安定経済成長期

1970年代に入ると、一般車でも冷房装置実用化に向けた動きがあった。1972年から、従来車両の車両更新については国鉄AU13形同等品を搭載しての冷房化改造工事の施工が開始された。また、1000系(初代)の一部車両で集約分散式冷房装置と集中式冷房装置の比較検討が実施された。

1973年8月に西急初の新製通勤冷房車両として登場した新系列の2400系では集約分散式冷房装置を採用、輸送力増強のために1982年までの10年間で6両編成83本498両が投入され、事実上の標準車両となった。

1985年3月から、本線八日市以西での8両編成化運用が開始された。これによる組成変更で発生した余剰車両を流用し、新たな制御方式として界磁添加励磁制御を採用した3000系が1986年8月から登場、回生ブレーキを使用した省エネルギー化の実現が可能となり、既存の車両に対しても界磁添加励磁制御への改造工事が開始された。

まず1000系が対象となり、将来の2000系・2200系・2400系の改造工事に備えることとなった。ただし、3000系登場時点で既にVVVFインバータ制御の長期実用試験が開始されており、名古屋市営地下鉄桜通線直通向けなどの新型車両の構想も、VVVFインバータ制御の採用が決定していたことから、3000系は余剰車両の有効活用および既存車両の省エネルギー化改造工事のテストヘッドとしての性格が強い系列となった。

1987年には、名古屋市営地下鉄桜通線への相互直通運転用としてVVVFインバータ制御車である7000系先行量産車が登場、1989年9月10日の桜通線開通までの間に性能試験や習熟運転が実施され、また誘導障害試験のために全線でその姿が見られた。

1987年には名神特急の運行体系変更による増備として、新型特急車両である5300系が登場した。当初増便分の増備のみとされていた本系列は、5000系の置き換えのために2次車の量産が決定された。これは、1988年から開始された5000系の更新工事において構体変形・腐食・気密度低下が想定以上であったことから、大規模な修繕は実施せずに車両新製がコスト面でも有利と判断されたことによる。

1990年代

7000系の実績をもとに、堺筋線直通対応用の新型車両として1992年から6000系が登場、置き換えで700系・771系・900系といった吊掛駆動車両が廃車となった。また、2000系・2200系・2400系についても1993年末までに界磁添加励磁制御化改造が完了し、省エネルギー化に貢献している。

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災では、旅客車両においては全損による廃車21両と部分破損44両を数え、1996年度に廃車の代替として6300系が新規製造された。本系列はIGBT素子を用いたVVVFインバータ制御車として登場し、堺筋線と桜通線の相互直通運転に対応した初めての系列となった。

1998年には、普通鋼製の構体に1台のインバータ装置で1台の主電動機を制御する1M1C個別制御方式と高出力の主電動機を採用した、2両固定編成の全電動車である6400系が登場している。嵐山線および湖東線用の車両として運用されるが、主目的は牽引車としての運用である。この6400系の登場により、新京阪時代からの生き証人だった4000形電気機関車が引退している。

2000年代以降

2001年には、6300系および6400系での検証をもとに、その後、ユニットブレーキなどの新技術が装備された1000系(2代)が8両固定編成で登場、置き換えとして、1000系(初代)が全廃、2000系(初代)が保存用の2編成6両を除き廃車されている。競合するJR西日本とのサービス面における格差是正および遠距離乗車の旅客に対する着席保障などを目的にデュアルシート車も検討されたが見送られている。

2008年より、製造から20年を迎えた5300系の車両更新工事が実施されようとしていた。本系列も5000系と同様に構体の変形や腐食による老朽化が認められたため、更新工事をを断念し、新造車両により置き換えられることが決定した。構体は1000系(2代)を2扉化したものであり、電装品もほぼ同様のものを使用することとし、2010年に8000系が登場した。

2003年9月には、日本鉄道車輌工業会により「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」が制定された。2011年から、このガイドラインに可能な限り準拠した、西急では初オールステンレス車両となる2000系(2代)が登場した。本系列の登場により、2200系および2400系普通鋼製車が淘汰されることとなり、一般車における普通鋼製車両は、用途が特殊である6400系を除き消滅した。

今後の計画

2018年には、主電動機等の保守部品が枯渇した2400系アルミ車や3000系といった直流電動機車両の置き換え用に3000系(2代)の新造が計画された。2020年3月に先行量産車が登場、1000系(2代)以来のアルミ合金製車両となった。折しもコロナ禍となり、コスト削減を目的に全編成が大同車輌製造での製造となる予定である。