なりたち(戦後)その5

新技術の導入

1990年代前半はバブル崩壊の影響を最小限にするために努力しつつも、各種業務において新技術を導入していき省力化および効率化が推進された時期である。

西急設立50周年

西急設立50周年を迎えた1993年4月1日にコーポレートアイデンティティを導入、「伝統と挑戦」「未来への飛翔」というブランドステートメントのもと、沿線や社会の発展に更に貢献し成長を目指していくことを表明している。

鉄道路線においては、1993年3月4日に大阪市営地下鉄堺筋線の動物園前~天下茶屋間が開業、相互直通運転区間が天下茶屋まで延伸されことに伴い、南海電気鉄道との連絡運輸が開始された。1994年9月4日に関西国際空港が開港すると、本線大津以西・嵐山線・千里線から堺筋線天下茶屋駅を経由して関西国際空港まで乗車できる企画乗車券の発売が開始され、旅客需要の確保に努めている。また、1994年3月30日には、名古屋市営地下鉄の桜通線今池~野並間が開業、相互直通運転区間が野並まで延伸されている。

鉄道車両については、堺筋線直通対応のVVVFインバータ制御普通車6000系が登場し、本線系統でも本格的にVVVFインバータ制御車両の導入が開始された。なお本系列で、はLED式車内案内表示装置と自動放送装置を新たに装備し、新たな時代の標準車両を志向するものとなった。

そのさなか、1995年1月17日の朝を迎える。

阪神・淡路大震災

1995年1月17日5時46分、明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生、阪神間に未曾有の被害をもたらした。地震発生直後に八日市以西で運転を中止、被害状況の確認が開始された。桂以東は当日夕方に運転を再開、翌1月18日には西宮以東で運転を再開している。

三宮~西宮間における、甚大な鉄道設備の被害は以下の通りである。なお、電路・信号保安・停車場など各種設備の被災状況や、鉄道設備についても実際の被害箇所は膨大であるが、詳細は各種文献を参照されたい。

  • 三宮駅構内での脱線による車両損壊および損傷
  • 岩屋駅東方の土留擁壁の損壊による盛土流失
  • 第ニ阪神国道陸橋の損傷
  • 住吉川橋梁の落橋
  • 芦屋川橋梁の損傷
  • 住吉川橋梁~夙川橋梁間における高架橋崩壊
  • 本山車庫の被災

車両については、地下線側壁・鉄柱・ホームへの衝突、転倒や転落、火災による焼失により、全壊21両と半壊および損傷44両を数えた。三宮駅構内では側壁およびホームに接触して損傷の激しい車両を現地解体している。

地下線については、下り線は列車の運行に支障がない事が判明し、三宮駅構内の残存普通車で6両1編成を組成、三宮駅6時発の8000系特急車は損害軽微で走行可能となったことから予備として存置し、2月1日から三宮~岩屋間が下り線の単線折り返しで運転を再開した。

2月13日には阪急神戸本線の王子公園~御影間が運転を再開し、各社線への乗り換えが必要ながら、再び阪神間が鉄道でつながることとなった。また、2月11日には阪神が梅田から御影まで復旧している。西急も第二阪神国道陸橋~御影間については橋脚の損壊でとどまっていたことから、一日も早い運転再開が望まれていた。

3月1日に三宮~御影間の上下線で運転を再開、阪神との振替輸送が開始されている。残る御影~西宮間については沿線住民の協力のもと昼夜を問わず連日数千人単位で復旧工事が進められ、7月1日に全線での運転が再開された。

しかし、JR神戸線の運転再開は4月1日で西急よりも3ヶ月早く、その間に相当数の定期券旅客が流失してしまっている。阪神間の乗降客数は伸び悩む事態となったが、どうすることもできず致し方がなかったという。

震災を乗り越え新世紀へ

阪神・淡路大震災を乗り越えた西急は、1995年10月1日に時差回数券と土休日割引回数券の回数券カード発売を開始、1996年3月20日には子会社の北急とともに周辺社局と共同でストアードフェアシステム(以下スルッとKANSAI)を導入している。

当初スルッとKANSAIへの対応時期は未定とされていたが、対JRの協調体制というよりは、大阪市交通局との連絡運輸の便宜を図ることを目的として早期導入が決定されている。また、導入当初は対応区間が大津以西だったが、順次自動改札機を更新することにより、1997年10月1日には対応区間が八日市以西に拡大された。

中京圏でも同様の動きがあり、1998年5月6日には湖東線と八日市以東で名古屋市交通局とのストアードフェアシステム共通利用が開始されている。

1990年代後半から社会でインターネットが普及し始めたことから、1996年10月1日にはインターネットに公式ホームページが開設された。1999年4月1日には、同年2月の携帯電話インターネット接続サービスの運用開始を受けて、モバイル端末対応ホームページおよび特急券インターネット予約サービスの運用を開始している。社内ネットワークの構築とPTCの更新も実施されるなど、1990年代後半は情報通信技術が急速に進化し普及していく、情報化時代の幕開けとなった。

新世紀を前にし、京阪神間のほとんどの区間で立体交差事業が完了したことにより、踏切による交通渋滞や築堤による地域分断の解消などの効果が得られることとなった。また、従来より推進していた高架下土地の賃貸により、副次的な収益源となっている。