名神特急

名神特急(めいしんとっきゅう)は、三宮駅~名古屋駅間で運行される座席指定制有料特急列車の愛称である。西急における最速達かつ最優等の列車種別であり、特急専用車両で運行される。

沿革

前史

1939年3月21日に梅田総合駅が開業し、阪神三宮駅~名急名古屋駅での相互直通運転が開始された。同年1月1日に運行を開始した梅田間~名古屋間の超特急についても運行区間を三宮駅まで延長し、三宮駅~名古屋駅間で1日6往復が運行された。

この超特急には、名急デハ100形2両の中間に名急サハ200形1両を挟んだ3両編成が充当されている。名急デハ100形は新京阪200形のデザインを継承した流線形で登場したが、京阪神地区の急行電車用に製造された鉄道省52系を意識していたのは明らかだった。

超特急は時節柄参詣輸送などで満員だったが、1943年4月1日の西急設立と同時に運行を休止、戦時輸送体制が強化されていく。後に名急デハ100形改め西急300系はロングシート化され、各駅停車で使用されることとなった。

超特急復活と名神特急の誕生

戦後は車両の整備もままならない状況ではあったが、1948年末に300系1編成の復興整備が完了したことから、1949年1月1日に、戦後復興への意気込みを内外に示すことを目的として座席定員制の臨時超特急が朝夕に1往復運行された。この時は座席指定なしの定員制で、乗車整理料金として30円を徴収していた。臨時運行かつ特急料金ではなく乗車整理料金とした理由は、先んじて運行を開始した近鉄の名阪直通特急(ただし伊勢中川で乗り換える必要があった)が、連合国軍最高司令官総司令部から指摘を受けたことによる。

1949年に入ってからは資材不足が徐々に解消されたことで車両修繕も進むようになり、300系も在籍車両の半数が走行可能な状態となった。そのため、同年10月1日のダイヤ改正では、座席定員制での超特急の定期運行が朝夕1往復ずつの1日2往復で再開された。当時の超特急の停車駅は、梅田・京都・大津・八日市・永源寺だった。

1950年10月1日に、三宮~大津間で100系クロスシート車による座席定員制の特急が朝夕に新設された。定期乗車券でも乗車可能とし、途中の停車駅は梅田・京都で、現代の通勤ライナーといえるものだった。同日、超特急は特急に種別変更し、座席定員制から座席指定制へ変更、新設特急との区別化を図ることを目的として「名神特急」の愛称を用いることとなった。この時は、名神特急と特急あわせて1日4往復の運行だった。

1953年4月1日に、名神特急との混同を避けるために三宮~大津間の特急が区間特急に種別変更された。名神特急は1日6往復に増便されたが、検査体制などを考慮すると300系の編成数ではこれが限界であり、車両の増備が必要となった。

この時期には、主要な私鉄やメーカーによって新型駆動装置や構体の軽量化の導入に向けて模索していた時期であり、300系の増備ではなく、新技術を取り入れた新型特急車両を導入する計画が立てられ、海外視察なども行われている。

だが、1953年9月25日に志摩半島に上陸した台風13号による水害の復旧作業や路線改良工事が優先されることとなり、計画はしばらく延期されることとなった。その後、1956年から吊掛駆動車両の構体を軽量構体化する車体更新工事が開始され、300系もいずれ対象となることから、新型特急車両の導入は喫緊の課題となった。かくして、1957年初めにスケールモデルと座席が展示され、500系の車番が用意された。

1958年に登場した新型特急車両500系は低重心の流線形車両であり、シートピッチ1,100mmでリクライニング機構付きの回転式クロスシートの座席を採用し、全車両に冷房装置を設置した完全空調方式となったことにより、側窓は二重ガラス複層固定窓となり断熱性と遮音性が向上した。

また、長時間乗車のためのサービスとして喫茶・軽食コーナーが設置されたことにより、1958年11月1日に営業運転を開始した国鉄の「こだま」で使用された国鉄20系(後の151系)と比較しても遜色のない設備となった。

営業運転開始後は連日満席となる好成績で、区間特急で使用されていた100系と名神特急用の300系を置き換え、運転本数を毎時1本体制とするために1960年までに6両編成12本と中間増結車2両編成6本が製造された。

しかし、1964年10月1日に東海道新幹線が開通すると、名神特急はたちまち窮地に陥った。東海道新幹線の開通時点でも「ひかり」「こだま」は毎時1本運行され、運行本数・所要時間・運賃のいずれも優位とはいえない状況となった。そのため、特急料金の値下げと1日10往復への減便を断行せざるを得なくなったが、追い打ちをかけるように1965年10月1日には「ひかり」「こだま」の30分間隔での運行が開始され、1967年10月1日には20分間隔となったことにより、もはやその差は明らかとなった。少しでも利用者を確保するため、1968年4月1日に名神特急における一区間利用への発売制限が撤廃された。

ただ、当初より一区間利用への制限がなかった区間特急の利用状況は堅調であり、名神特急においても、八日市~名古屋間においては東海道新幹線への乗り換え需要が発生したことによって、一定数の利用があった。

1960年代に入り、滋賀県は工場誘致に積極的に乗り出し、県内の産業構造が大きく変化する時期を迎えた。西急でも湖南および湖東地域における大規模開発が開始された時期であり、湖南および湖東地域の人口増加は著しく、優等種別の延長運転などの要望は多くなってきていた。これらの要因を総合し、名神特急は長距離特急から短区間利用主体の都市間連絡特急へと、抜本的に見直す時期に来ていた。

都市間連絡特急への変革

当時の三宮~大津間の区間特急には500系の中間増結車が充当されていたが、車内設備に問題はないものの、側扉が各車両に1箇所しかない上に側扉の幅が狭いこともあって度々乗降遅延が発生し、乗降遅延の原因となっていた。

1963年に京阪の1900系を視察し、2扉かつ普通車と同じ幅の側扉であれば乗降遅延も発生しないだろうとの結論に至り、MT組成比の関係で運用機会が少なくなっていた1000系1次車を2扉化して500系と同等の内装とする格上げ改造工事を1965年8月に施工、旅客サービス改善に向けた検証が行われた。

この改造車は区間特急の営業運転にも投入して市場調査を行い、500系の後継となる新型特急電車の開発・設計が進められた。東海道新幹線開業後、比較的早期に新型車両模索への動きが見られたことから、500系に対し早々に見切りをつけていたことが窺い知れる。

1972年4月1日の商号変更にあわせて新型特急電車5000系が営業運転を開始し、1973年の特急券発券システムの稼動開始により、駅端末での迅速な発券が可能となり、特急券発売駅も増加した。

同時に、名神特急(三宮~名古屋間)と区間特急(三宮~大津間・朝夕のみ)の2系統だった特急の運行体系も一本化されることとなった。区間特急は名神特急に統合され、三宮~名古屋間は再び毎時1本に増便、朝夕は毎時2本となっている。また、停車駅に草津が追加され、短距離区間の乗車制限も撤廃されている。

国鉄の運賃・料金の値上げも要因となり、乗客数は回復の兆しを見せていた。これに伴い、全時間帯毎時2本運転を実施するために5000系の増備車両として、500系の車内設備を流用した5300系が製造されることとなった。1975年4月1日のダイヤ改正では5300系の所要数が充足されたため、名神特急は毎時2本の運転となっている。

1976年11月6日には国鉄の運賃・料金が50%値上げされたことが転機となり、名神特急の乗客数は急速に回復した。これを機に攻勢に転じるため、乗車の都度窓口での座席指定が必要ながらも、特急回数券の発売を開始している。

新快速の登場

1980年1月22日に国鉄117系による新快速が営業を開始、料金不要かつ所要時間の短い新快速は、設備に目を瞑れば京阪神間の移動には有効な手段であり、名神特急の脅威となった。1986年11月1日の国鉄ダイヤ改正は分割民営化を前提とした白紙ダイヤ改正であり、都市間輸送を重視、新快速は新たに山科駅に停車するようになったことで、特急のみならず、西急の無料優等にも影響が出始めることとなった。名神特急は運賃および料金は新快速よりも高くなるが着席が保障されること、西明石~京都間で車内禁煙区間が設定されていた新快速に対して喫煙車の設定があることをアピールするなど、乗客確保に努めた。

この1年前、1985年頃から西急でも市場調査により名神特急の運用見直しの要望が増えてきており、国鉄分割民営化に対抗し得る抜本的なダイヤ改正が実施されることとなった。

特に利用状況については、朝夕ラッシュにおいて着席と快適性を求めての利用が多く、定期的な利用のために回数券または定期券を設定してほしいとの要望に応え、特急回数券および特急回数券カードの導入が決定された。また、改札内でも特急券が購入できるようにサービスが改善されることとなった。

1987年4月1日のダイヤ改正では、昼間時間帯は毎時2本、朝夕は毎時3本の運転となり、競合相手である西日本旅客鉄道(以下JR西日本)を意識したダイヤ改正となった。また、この増便に対応するための増備として新型特急車両5300系が登場、その後の車両運用における方針変更で2次車が量産され、5000系全数を置き換えている。

気軽に乗れる特急へ

1999年4月1日には、インターネットを利用した特急空席案内および予約サービスの運用を開始、翌2000年4月1日から携帯電話IP接続サービスによる特急券インターネット予約・発売サービスの運用を開始した。特急券券売機や窓口に並ぶことなく特急券が購入可能となり、また、決済完了後の提示用画面が特急券代わりとなりチケットレス化が達成され、より気軽な乗車が可能となった。後に業務用携帯端末の更新時に座席の発売状況が確認できるようになり原則として車内改札は省略され、提示は不要となっている。

2008年より、製造から20年を迎えた5300系の車両更新工事が実施されようとしていたが、5000系と同様に更新を断念し、新型車両が製造されることとなった。2010年に登場した8000系では、喫煙ルームが設置され、特急の全列車全席が禁煙となり、喫煙ルームでの喫煙のみ可能となった。

2012年3月31日のmovaサービス終了に伴い列車電話のサービスが終了となった。空きスペースには車内巡回販売の代替として、順次汎用自動販売機が設置されていった。これにより、ワゴンによる車内販売は廃止されている。
8000系の1回目の全般検査では、乗客からの要望が多かった座席へのコンセント設置工事が施工され、フットレスト間にコンセントが2口(車端部の座席は車端部壁面に2口)設置されている。

2020年春頃からの新型コロナウイルス感染症による減便は全日土休日ダイヤとすることで対応し、追加の減便は実施しなかったが、列車運行に必要な人員の確保ができず一部列車が運休となる時期が度々発生した。